2022/10/27
どんぐり子育てはじめてママのお悩み。宿題はやらない方がいいんですよね?
どんぐり倶楽部の良質の算数文章問題(通称どんぐり問題)の進め方の次に多いお悩みがこれかな。
子どものもって生まれた才能を守り、
人間らしい判断力を含む思考力を持った大人
に育てるために、子どもを取り巻く様々なものを親が状況を見極め、調整していくことを
環境設定
と呼ぶんですけど、宿題についてもその一つになります。
個人差がありますが、環境設定としては大きなウエイトを占めていると思います。
・・・ま、でも一番大きな影響はママ(親)自身だったりするんですけどね・・・ボソッ・・・
今日はその宿題をさせるべきか?させないべきか?について。
自分で判断してね
あは。これが全てです。(‘▽’)
「宿題やらない方が良いと思うんですけどね~。」
「どんぐりは宿題をやっちゃいけないんでしょ??」
という人に限って、子どもの宿題を体験していないし、その宿題で良くも悪くもどんな力がつくのか?を考えていない。
まずは子どもと同じぐらいの負荷をかけて宿題をやってみようよ。
一生使っていく頭=考える力
だから頭の栄養になるかどうか?中身を親が確認してみなきゃ。
体験といっても実際なかなかいろんなことは体験できないけど(死にかける、とか)、宿題体験はできます。
12歳⇒1倍
11歳⇒2倍
・
・
1歳⇒12倍
って、子どもと同じぐらいの負荷をかけてやってみるんです。
体験するとやっぱり違う世界が見えてくる。
イライラする
頭がボーッとする
集中力が欠けて間違えを繰り返す
終わった後は疲労感だけが残って何をやっていたかサッパリ覚えていない・・・
いろんなことがわかります。
そして、一生懸命やった宿題も先生は細かくチェックせずに、ノートいっぱいの○を付けて終わり、なんてこともわかります。
要注意なのは単純で大量な読み書き計算の繰り返し
単純な読み書き計算とは、宿題の代表
漢字ドリル
計算ドリル
音読
のことです。
どんぐり倶楽部では「お粗末3点セット」と呼んでいます。
学校から出される宿題はこのドリル類を繰り返しさせるか、これを元にしたプリントなどがほとんどだと思います。
自然を相手にした豊かな遊びが減り、なんでもボタン一つで済んでしまう便利な日常生活、自分が楽しむというよりも、楽しませてくれるものの方が多くなってしまった現代に生きる子ども達は、
ホントーに、頭を使ってない!
しかも、孤育てなんて言われる時代。
子育てにいろいろ不安ばかり募るけど、頼るのはスマホの検索窓、という頑張りすぎるママ達に管理されている子どもが多い。
親の言うことキチンと聞いて、逞しさを身に着けストレス発散となるはずの子ども同士の群れ遊びも、自然の中での自由な遊びもなく、
ストレスたまりまくってます!
で、単純作業でしかない頭を使わない漢字・計算ドリルの宿題は、考える力にも豊かな感情にもとどめを刺すことが多いんです。
・・・ママの「こんなのもまだできないの!!」という怒鳴り声と共にね・・・
参考リンク:NHKスペシャル「シリーズ キラーストレス第2回」から見るどんぐり式子育て。
我が家の宿題制限の実際
学校の宿題を制限することで困ったことは・・・特にありません。
逆に良いことはたくさんありましたよ。
⇒子どもに宿題をさせる?考えない習慣を作り出す宿題をさせないという選択でわかったこと。
残念ながら、うちの子の通う小学校では子どもに合った宿題ではなかったので、長男の時は宿題マシーン+免除、次男も現在は宿題マシーンが稼働しています。
もちろん、必要な家庭学習はしています。
子ども達の必要な家庭学習量は、親である私がキチンと把握しています。
漢字・計算ドリルはすべてしていません
長男の場合
宿題制限をする前の、宿題やどんぐり問題への取り組みの反応は、
「やりゃいーんだろ!」
「何これわからん!こんな問題一生やらん!!」
でした。
長男は学校のお勉強には困っていませんでしたが、小4までに考えない・感じない習慣がバッチリとついていました。
特にうちの子達は
スピード・暗記・反復・数字
が大好き。
学校では授業で問題集の回答スピードを競わせ
給食の時に白衣に着替えるのもストップウォッチで
列に並ぶのだって、席に着くのだって、いちいち急かされ
たくさんできること、点数を取るのがすごいことと教育され
習熟と称して授業でも何度も何度も繰り返し行われる計算練習・・・
役員をしていたこともあり、学校の様子、ノート・授業中に配布されるプリントの内容を見ていく中で、
こりゃ呑気に宿題をやらせている場合じゃない。
と、うちでは完全に漢字ドリル・計算ドリルの類の学校の宿題はさせない、という選択になりました。
高学年だったので、宿題の悪影響についてキチンと話し、本人も納得した上での宿題制限でした。
計算は良質の算数文章問題の中に出てくるし、漢字は思考力養成を優先したかったので、6年生の3学期でIF法を取り入れました。
現在中学生ですが、計算、国語はもちろん社会・理科などに出てくる用語の漢字の書きには困っていません。
次男の場合
一年生の次男は特に計算ドリルや算数プリントをやりたがります。
「お母さんにもやらせてよ~。そんなにやったら頭だけ大きくなっちゃうよ~。」
とかなんとか言って、やらせてもらっています。
もちろん、計算カードの類もしていません。
体感計算・指折算をたまーにやっておしまい。
まだ読みが十分できない次男には、好きな本(教科書含む)の好きなところを一緒に音読。
そして、
良質の算数文章問題(通称どんぐり問題)を週に1回、これだけ。
テスト勉強という名の宿題
「うちはテストでしっかり間違えてくる、わからない所をちゃんと知っておく、という理由で、『テスト勉強はしない』という家訓なんです。勝手なことを言って申し訳ありません。テストが悪くても通知表が悪くてもずべてこちらの責任です。ご迷惑はおかけしません。m(__)m」
と担任に頭を下げて、免除してもらっていました。
それが不可能な時は、私が教科書のテスト範囲をコピーして、ノートに貼り、テストに出そうなところに蛍光ペンを引いて終わり、とか。
テストで高得点を取る、なんていう見栄えだけ気にしていたら、本当の「理解」からは遠ざかります。
大切なものは「失敗」とか「間違い」と一般的には言われる現象の中にあります。
全然自主的じゃない、自主勉強という名の宿題
自主的:
[形動]他からの指図や干渉によらずに、なすべきことを自分の意思に基づいて行うさま。「―な活動」
goo辞書
「自主勉をやってきなさい!」
って言ってる時点で自主的じゃないじゃん、っていう・・・
一時期この宿題が出たこともありましたが、提出しなくても何もお咎めなしだったので、出さずにスルー。
当時の担任が「自主勉強」だから、自主的に勉強したいことがなければ提出しなくてよろしい、なぁんて思っていたかどうかは不明。
大切なのは
「これはどんなんなってんだろ?」
って、物事に興味・関心を持って、ワクワクする気持ちを持ち続けられる環境を作ってあげること。
一緒に調べてもいいし、知らないことは教えてあげればいいけれど、親は欲張りだから、つい成り立ちとかいろんな知識も一緒に教えちゃろ!!ってなっちゃうことも多い。
ノートのまとめ方とか教えているうちにケンカになっちゃう、とかね。
もう何を大切にしたかったのか?わからなくなっちゃうパターン。
「ついで」は要注意。
夏休みのお困りアイテムの宿題たち
感想文
私が小学生の気持ちになって全部書いて、本人が清書するときもあれば、母子の共同作業の時もありました。
本は本人が選んで読み、子どもが気になったところや、その時の感情(といっても、へーえって感心した、とか、怖いなー、とかその程度)を私が聞き取りメモをしていました。
それを親である私が想像力を使って、おもしろおかしく話しを膨らませたり、ちょっと気取った言葉を使ってみたり、大げさなほど感情表現を盛ってみたり・・・
ま、具体的には「そんな文章、小学生は書かんでしょ!」というようなものです。
どちらかというと、子どもにとっては嫌がらせ(笑)
二人であーだこーだ言いながら、夏休みの宿題の嫌われ者、読書感想文を楽しく仕上げる。
「書かされる」ことが心身ともに大きな負担だった長男。
「書くことがないよー。(T_T)」
と泣きつくことはしょっちゅうでした。
文章なんて、元の感じる心があって、それをイメージすれば、後からどんどん、どんどん継ぎ足して、どれだけでも長く書くことができるんだよ、というお手本を見せ続けました。
今では卒業文集、スピーチ原稿等々、
「書きたいことがありすぎて、字数オーバーだ!!!( ゚Д゚)」
なんて、言ってますよ。
●読解力養成とは文字を明確な視覚イメージとして(自分の持っている原形イメージの再構成により)再現することです。
●表現力養成とは視覚イメージ再現したものを感じ味わうことで感情再現することです。
その感情を表出する時にはその時点での感情再現に最も適した(得意な)表現手段を使うことが肝要です。
表現内容に適した表現形式である必要はありません。まずは、自分が得意な手法を使うことが大事です。
手法はいくらでも後付けできますが、その時の感情はその時にしか味わえないからです。
それを形として残すにはその時に最も得意とする手法が最も適しているからです。
テーマが同じでも年代により技法が変わる絵画を考えると分かり易いでしょう。オリジナルの明確な視覚イメージを再現できるようになると、その再現イメージが感情を再現してくれます。
すると、言葉を考えない(作ろうとしない・書こうとしない)で、再現された感情を味わうだけで言葉が溢れてきます。
その溢れてきた言葉を書き留めるだけで作文も感想文も出来てしまいます。
推敲はいつでもできますから重要ではありませんし、必要なときに必要な分だけ手をいれればいいんです。
肝心なのは<書くこと・書きたいこと>を自力で作り出す方法の修得です。
作文さえも算数の指折算や「デンタくん」と同じ力を使っていることを意識している人は教科の区別を全く感じることなく、
全てが<得意>になってしまいます。できなくても楽しめるようにもなります。これが幼児・児童期には特に重要で健全な感覚です。絵コンテ読解より一部引用
ベオンくんの作文教室(過去ログ2-【28】)なんかもあるよ。
ポスター・習字
絵を描くことは好きだった長男。
幼稚園から低学年まで通っていた信頼できる絵画教室の先生のところへ、夏休みだけスポット参加をさせてもらっていました。
彼が言葉にしたアイデアを、上手く絵に表現するサポートをしてくださり、楽しい時間を過ごしていました。
弟に邪魔されず一人で集中して描けるし、私も片づけ~”(-“”-)”とかゴチャゴチャ言わなくて済むので、よい選択でした。
習字は・・・
私自身が幼児から高校生まで習っていたこともあり、最初はどーーーしても
「ハネ」
「ハライ」
とか、筆の持ち方とか細かいところが気になって気になって・・・
見栄えのいい字
を書かせたかったんですね。コンクールに選ばれる、なんて目標を持っていなくても。
心を落ち着かせて静かに墨をする
少しずつ部屋に広がっていく墨の香り
紙の白と墨の濃淡とのコントラスト
・・・
そういうものを大切にしたいよね。
課題の字が決まっていたら、
- その字をまず頭の中でたっぷりイメージ
- 筆遣いをイメージトレーニング
- 気持ちが固まったら、一息に書く!
練習もなし!一発勝負!!
・・・といっても、本人がどーしても納得いかない!という時は本人に任せていましたけどね。といっても3枚程度で終わり。
どんぐり理論ではお馴染みの、「覚悟」の決め方の練習になったかなー??と私は勝手に思っています。
うちの子、勝手に宿題をサッサとやっちゃうんです~??
えぇえぇ、よく聞きますね。このセリフ。
子どもが勝手に・・・と思っていれば、なんかあったら子どものせいにできるもんね。
ケースバイケースですが、
- 親や先生に管理されているという恐怖感(やらないと怒られる)から、やっている子
- サッサと計算・チャッチャと宿題をこなすことがすごいこと、偉いこと、と勘違いの価値観をすでに持ってしまっている子
- 余力があってサクッとやっても全く影響のない子
目の前のお子さんをよく観てください。
宿題とお友達やお母さんと遊ぶという選択肢が目の前にあったら、それでも我が子は宿題を選ぶと思いますか?
宿題と日常生活(学校・親・友達)が今の子どもにどんな影響を及ぼしているか?
表の見栄えのいい所だけでなく、しっかりと「ウラ」の面を観て判断してください。
おわりに
あなたのお子さんのことはわかりません。
もしかしたら、宿題も塾も塾の宿題も他の習い事も余裕でクリアするだけのエネルギーがたっぷりある子どもかもしれません。
- 無理やり取り上げて上手くいく家庭もあるかもしれない
- 何度も何度も話し合って伝える必要がある家庭もあるかもしれない
- サクッと親に宿題を手渡しておしまい、の家庭もあるかもしれない
我が家も最初から子ども達に合った方法で、宿題を工夫できたわけではありません。
宿題をさせる・させないということだけではなくて、宿題という材料を使って、親の価値観を伝えることもできます。
どんぐり理論を学ぶと、宿題バトルがなくなることはもちろん、苦痛でしかなかった宿題が、ママの工夫で効果的で楽しいものにだって変わります。
どんぐり理論はどんぐり倶楽部の中に散りばめられていますので、楽しく迷いながら前へお進みください。(笑)
一緒に進む仲間が欲しい方は、
⇒どんぐらー親の会へどうぞ。